大愚宗築禅師着賛 「渡唐天神」
大愚宗築(1584~1669)
だいぐ そうちく
本是世音淨法身
応延喜信化忠臣
投参請徑塢禅室
威徳日新又日新
前住妙心大愚宗築拝讃
大愚宗築は福井県大安寺開山。岐阜出身。雲居禅師とは朋友で、雲水時代には雲居禅師等と共に仙台覚範寺虎哉禅師のもとに参じている。豪快な境涯で、武家や公家といった権力者に媚を売らぬ禅僧であった。妙心寺開山300年遠諱の際も愚堂禅師の偈に抗議したのも彼ならでは逸話である。諸相非相禅師と勅諡される。
渡唐天神は菅原道真公が、宋に渡り径山の無準師範禅師に禅の教えを受けたという伝説に由来するものである。この像は手には梅枝、頭には儒教の冠、道教の衣装、肩より腰には無準禅師伝法のあかしに受け取ったという袈裟を入れた袋をさげている。仏家、儒家、道家、そして神道の教えが一如であることを絵自体が表現しているのである。もっとも渡唐天神の多くは禅僧の賛を伴うので、作品全体としては、儒、道、神に対しての禅の優位たることを主張していると言って良いだろう。
大愚宗築禅師の賛は、観世音菩薩(世音淨法身)=天神(大自在天)=菅原道真(延喜の忠臣)という当時の信仰を背景とした内容となっている。徑塢(きんお)禅室とは徑山萬寿寺無準禅師の禅室という意味。