雲居希膺禅師 「果然」
万治期の最晩年の書。希膺の署名の膺の月の横棒が一本となるのは最晩年作品であるとされる。画像でご確認頂きたい。
果然の横二字は大きい文字の作品が比較的少ない雲居禅師にしては何点か存在するようで、瑞巌寺宝物館の堀野師によれば、この作品を含め3点が確認されているとのこと。
果然は雲居禅師の室号である把不住に連なる言葉で、碧巌集一則に「果然として把不住」という用例がある。果然は禅林句集(柴山老師版 其中堂)によれば「予想の通り」「果たしてそうだ」「案の如く」の意味。
雲居禅師が把不住と室号を定め、妙心寺や瑞巌寺の住持にあった高僧でありながら、深山幽谷を伴として生涯を送った背景には、政治に翻弄された少年時代から武家と縁の深かった修行時代における労苦に基づくものと小衲は理解する。瑞巌寺の入寺も固辞し、実務は弟子の洞水禅師に任せていたと思われる禅師が、唯一把不住で無かったもの、即ち把束されたものがあるとすれば、仏教者としての慈悲心だったように思われる。バラエティに富んだ禅師の墨蹟がこれを物語っている。
本紙 縦31.5cm×横45.5cm