天嶺性空禅師着賛 「三面大黒」
天嶺性空禅師 松島瑞巌寺の105世。大本山妙心寺に請われて三回度にわたり住持する。瑞巌寺歴代でも妙心三住は天嶺和尚のみ。瑞巌寺歴代きっての能書家で、瑞巌末の寺には扁額等として、その筆跡が数多く保存されている。 因みに本年(平成22年)は天嶺和尚の二百七十年遠諱に当たり、仙台燕沢善應寺様にて法要が厳修された。
三面大黒は伝教大師最澄が唐より請来し、尊崇したことに始まる、大黒天、毘沙門天、弁才天の三神一体の合体神。後に豊臣秀吉公がこれを信仰し、出世大黒として信仰を集める事となる。
作品は版で摺られた大黒に天嶺和尚が着賛をしたという内容。これは版が作製され頒布される程、三面大黒が信仰を得ていた証となるものと言えよう。 天嶺和尚の賛は「三宝一致 三面天神 一鎚々出 福寿千春」という芽出度いもの。三宝とは元来は仏・法・僧のことであるが、ここでは大黒、毘沙門、弁財天のそれぞれの法力が一体となって、鎚を挙げれば福寿長命の縁が結ばれるという意味か?「松嶋七十 空老人 拝讃」と署名されており、天嶺和尚は世寿七十一歳と伝えられることから、天嶺和尚遷化の前年、元文四年(1739)頃に書かれたものであると思われる。