伊達忠宗公 「自筆書状津田近宛」
伊達忠宗(1599~1658)号義山
二代藩主。藩祖政宗公の跡を継ぎ38歳で藩主となる。忠宗公時代に行われた買米制度などの新田開墾奨励政策は、政宗公時代より行われた治水対策とも併せて、「米どころ」伊達藩の基盤となった。
明日之儀延候様に可申
越候 相伴衆へも其様
明日上様還御必定之由にて
可申渡候 以上
昼時分より 御城へ相詰候
由従周防殿被仰間 宗利
所へ之儀延引候様に可申 近頃
残多候へ共わたくしならぬ事
にて候 来月は必可参由
可申越候 かしこ
廿七日
忠宗
津田近殿まいる
二代藩主。藩祖政宗公の跡を継ぎ38歳で藩主となる。忠宗公時代に行われた買米制度などの新田開墾奨励政策は、政宗公時代より行われた治水対策とも併せて、「米どころ」伊達藩の基盤となった。
明日之儀延候様に可申
越候 相伴衆へも其様
明日上様還御必定之由にて
可申渡候 以上
昼時分より 御城へ相詰候
由従周防殿被仰間 宗利
所へ之儀延引候様に可申 近頃
残多候へ共わたくしならぬ事
にて候 来月は必可参由
可申越候 かしこ
廿七日
忠宗
津田近殿まいる