伊達綱村公 田村建顕公 「和歌並びに春雪画」
伊達 綱村公は、仙台藩の四代藩主で、伊達氏の第20代当主。第三代藩主・綱宗公の長男。母は三沢氏初子。万治二年(1659)三月八日、綱宗の嫡男として生まれる。幼名は亀千代丸。初名は綱基。政宗公の曾孫。万治三年(1660)、父・綱宗が隠居させられた為、二歳で家督を継承し藩主に就任。
田村 建顕(たむら たつあき)公は、一関藩の初代藩主。明暦二年(1656)五月八日、岩沼藩の初代藩主・宗良の次男として生まれる。政宗公の曾孫。延宝六年(1678)、父の死去により後を継ぐ。延宝九年(1681)岩沼から一関に移封され、一関初代藩主となる。学問に秀で将軍・綱吉から厚遇され、外様大名でありながら江戸城奥詰に任ぜられた。忠臣蔵の浅野内匠頭長矩の身柄を預かり、庭で切腹をさせたのは建顕であったと言われる。