鐵牛道機禅師 「鶴 置き字」
「鶴は翔ける千歳の松 亀は躍る萬年の石 壬戌小春日 紫雲鐵牛機書」とある。 鉄牛禅師(1628~1700)は、因幡国龍峯寺提宗慧全禅師の許で修行後、長崎に滞在していた隠元禅師に参じ、ついで隠元の高弟木庵禅師(もくあん しょうとう)に師事して鉄牛道機と名を改め、その法を嗣いだ。小田原紹太寺、江戸弘福寺、仙台大年寺等を開創。鉄眼道光の「大蔵経」の開版に協力し、下総国の椿海の干拓などの社会事業を助け、椿海辺に福聚寺を開創した。世寿73歳 壬戌(みずのえいぬ)小春とは天和2年(1682)の陰暦10月のこと。鉄牛禅師は50代半ばの壮年期。