寒巌壊灰禅師 「趙州云無」
別号は雲関。年少期の行状は詳らかでない。寒巌禅師は洞水禅師の弟子である無印珠庵主が、雲居禅師の教えを良く受け継いでいるということを耳にし、仙台まで行脚し修行をしたという方。庵主の家風を慕って長年その膝下に随ったが、何でも飯炊きをしている際に、ボーっとしていたところを庵主に箒でひっぱたかれて悟ったとか…。庵主が遷化(亡くなった)後に、古月禅師の法を嗣ぎ、現在の大分市にある少林寺の住持となっている。延享元年(1744)4月21日示寂。世寿は50代であったとされる。弟子に古月下の法を継いだ虚霊祖応禅師、白隠下の法を継いだ斯経慧梁禅師、寒巌禅師の法を継いだ卍山端倪禅師がいる。
「趙州云く無」とは唐の趙州禅師が「犬には仏の素養があるか?」という質問に対し「無」と答えたという公案に基づくもの。趙州の無とは有無の二元を超えた無であると理解される。