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東園寺所蔵書画

虚櫺了廓禅師 「安名 性海」

伊達綱村公消息(手紙)

虚櫺了廓禅師は妙心寺219世、妙心寺塔頭通玄院1世、広島禅林寺3世。虚櫺禅師は松島瑞巌寺三代開山の一人洞水東初禅師と同じ日向国飫肥出身で、江戸東禅寺で洞水禅師と共に修行したようである。瑞巌寺所蔵の洞水禅師の頂相の賛は慮櫺禅師によるもので、両者の親密な関係が伺える。また、これとは別に洞水禅師の塔所である大仰寺所蔵の洞水禅師の頂相は木庵禅師の着賛であり、後述の因縁を見るに甚だ興味深いものがある。

 さて、禅宗史で虚櫺禅師の名が知られるのは、承應3年(1654)隠元禅師が来朝後、初めて行った安居で隠元禅師の依頼により日本人僧侶の指導に当たり、隠元禅師の大法会の様子を具に報告していることよる。これより先、承應元年、妙心寺山内の禿翁妙宏禅師は、、縁あって手にした隠元禅師の語録を読み、龍安寺の龍渓禅師と共に隠元禅師を尊崇していたが、2年後に来朝した隠元禅師の動向を伺うべく、法兄弟である虚櫺禅師に隠元禅師の滞在する長崎往きを依頼した。当初、虚櫺禅師は隠元禅師に相見し、その膝下に留まるつもりは無かったが、余りにも沢山の日本人僧が法会に集まってしまったので、隠元禅師が虚櫺禅師に日本人僧の統率を依頼したものである。この法会に参加した日本人僧は70名、これに対し明僧が20名程で、言葉が通じないことによるトラブルも生じ、虚櫺禅師はこれをまとめる為に難儀したようである。虚櫺禅師は龍渓禅師と禿翁禅師が隠元禅師を妙心寺に拝請することに賛意を示しつつも、この為には大変な費用が必要であることを指摘している。また、本邦と明朝風の法式について、朝夕の勤行の際に行う礼拝の姿が見事であるとか、上堂の儀礼は妙心寺の方が素晴らしい等、率直な感想を伝えている。面白いのは食生活に関する報告で、明風のそれは三度の食事の他に時々に茶菓がふるまわれ、時には日に6~7度も食することがあり、「腹便々」であると述べている。

 作品は貞享2年(1685)虚櫺禅師85歳の書で、壽硯という行者の依頼で書かれたものである。本紙40cm×55cm。

「安名 性海 貞享二年暦孟夏良辰八十五齢老衲前再住当山虚櫺叟了廓壽硯行者の需(もとめ)に応じて書す」

 安名とは一般的には出家得度する者に僧名を与えること。広義では授戒をして法名を与えることを意味するが、ここでは寺で様々な用務を行う行者(あんじゃ)に与えた安名であるので、僧名なのであろう。

 
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