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東園寺所蔵書画

天嶺性空禅師「新後撰和歌集巻第九釈教歌」

古梁紹岷禅師 「富士詠」

蓮生法師松島へ詣でゝ
法門などだんじて歸り
侍りけるに津かわしける
見佛上人
長き夜の闇路に迷ふ身なりとも
ねぶりさめなば君を尋む
返し            蓮生法師
闇路には迷ひも果てじ有明の
月まつ島の人の志るべに
蓮生法師ハ宇津宮弥三郎
 頼綱入道也
蓮生ハ定家卿分門弟
頼朝公之時世
右新後撰和歌集巻第九釈教歌
瑞岩現住蓮花老人(花押)

蓮生法師は、天嶺和尚が記す通り、宇都宮弥三郎頼綱入道蓮生(1178~1259)のこと。この人が宇都宮5代城主で鎌倉御家人。和歌を得意とし、宇都宮歌壇を創設する。
見仏上人は松島の名の発祥の地である現在の雄島に居住した行者。蓮生法師の歌にも詠み込まれているが、「月待つ島の上人」とも称され、法華経を読誦して法力を得、奇蹟を起こしたという。この法力は遥か都まで届き、鳥羽天皇から松の苗を千本賜り、これにより上人の住した島を千松島と呼び、これが松島の由来となった。瑞巌寺に現存する仏舎利は北条政子より上人に贈られたもの。西行によれば、見仏上人は月の内、20日を松島で過ごし、残りの10日は能登の岩屋で過ごしたのだとか。古人の想像力たるや驚嘆すべし!
天嶺和尚は伊達家の重臣であり、寛文事件と関わり蟄居閉門された伊東七十郎の一族。伊東家一門が処罰された時期に母の胎内にあり、誕生後、命を救うべく松島水主町本村氏の門前に捨てられ、同家で養育された後に、水主町鈴木家の出身であった瑞巌寺103世通玄法達和尚に薫育され、後に本山妙心寺に三度住職、瑞巌寺105世となる。瑞巌寺歴代住職随一の能書家で扁額や聯の遺物が多数伝えられる。細字でしかも松島に因んだ墨蹟として本作は希少である。元文6年(1740)遷化71歳。
天嶺和尚は、師の通玄和尚が開山した燕沢善応寺の普請にあたっては監造という造営責任者を任され、同寺の中興として尊崇される。鈴木双竜先生が天嶺和尚の墨蹟を手に入れた背景は、上記の通り寛文事件により人生が一変した天嶺和尚を慕っての事であった。寛文事件で人生が変わったと言えば、この事件により2歳で4代藩主となった塩釜港開港恩人伊達綱村公。善応寺が綱村公開基の寺である事を思うと、両者の深い因縁を感じさせられる。

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