湛然元皎禅師賛 法橋鳳山師画「文殊画賛」
七仏之師百獣王、威而彼
我共相忘、勿疑不問
山路、在處何山非道場
戌寅杪秋二十五日
大年前東堂皎湛然拝題併書
湛然元皎禅師(一六八三~一七六三)は河内金剛山下の東条氏に出生。摂津長慶山勝楽寺の竹巌道貞の許で出家。竹巌の遷化に伴い、嵯峨直指庵の月潭道澄禅師に参じて正德三年三十一歳の時に嗣法。翌年、月潭禅師遷化により直指庵の後席に着く。その後、伊達宗村公の請により、延享四年、大年寺十世となる。宝暦二年大年寺を辞し、宝暦十年八十一歳にて遷化。
法橋鳳山 法橋は仏師や画師に授与された称号。鳳山については未詳。
(意訳)
百獣の王たる獅子に跨る七仏の師、文殊菩薩と金毛の獅子の前では、誰もが彼我の迷いを忘じてしまう。文殊菩薩がおられるとういう五台山の路など、どうでもよいではないか。文殊の智慧の教えに依れば、どの山が道場では無い等と言えようか。
七仏之師とは『無門関四十二則女子出定』に「文殊は是七仏の師、甚んに因ってか女子を定より出すことを得ざる。」とある。杪秋は晩秋のこと。湛然禅師の活躍期の戌寅は宝暦8年(一七五八)。