雲居希膺禅師「自筆書状 玉川ノ長彦右衛門宛」
久々音問杜絶御床
敷事山々其許
一族御無事ニ候ヤ
愚僧事老衰可
有御推量候モハヤ
弥勒ノ出世ノ時可申
承候恐々不宣
寛十九松島ノ雲居希膺(花押)
二月廿五
玉川ノ長彦右衛門殿
床下
瑞巌寺中興開山、雲居禅師(1582~1659)の消息(手紙)。玉川ノ長彦右衛門については不詳。旧知の間だったのだろうか、対面叶わぬ事を嘆き、雲居自身が年老いてしまったので、遙か未来の弥勒仏の法会で会うとしている。寛十九は寛永十九年のことで、雲居禅師六十一歳。年譜を拝するにこの年は金華山に赴き、翌年は妙心寺再住の拝請を受け、悟渓禅師の塔所である美濃瑞龍寺の復興を依頼される等、「愚僧事老衰」との感は皆無であるが、席を温める暇も無く化導をしていた時期だけに地元との繋がりは薄くなったのかもしれない