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法螺貝 住職の法話

平成二十七年六月発行

自由~拙い経験から

「罪がないのに罵られ、なぐられ、拘禁されるのを堪え忍び、忍耐の力あり、心の猛き人、かれをわたくしはバラモンと呼ぶ。」(スッタニパータ623)
 大学生の頃、何かの授業のテキストとして購入させられた『ブッダのことば』(中村元博士訳、岩波文庫)を開くと、何故かしらこの句に乱雑に線が引いてある。他にも少しはチェックがしてあり、買わされたという割には読んだ気配が感じられる。確かに大学の頃は初期の仏教が好きで中村先生の本はよく読んだものだが、この句に心惹かれたのは当時の寮生活によるものだろう。
 寺の息子に生まれ、選択の余地無く宗門の大学に進学した小衲は理不尽と思われる先輩方の指導に辟易としていたのだ。この句を頼りに痛めつけられながらも、上から諸先輩を見下ろす自分…。
今思えば先輩方の指導の荒さなど大した事は無かったのだが、若い頃はそれこそ心猛く、少しの事に過剰に反応するものである。間違い無く宗門の寮で過ごした2年間は宝物のような経験の連続であった。
「父の使命感に共鳴することが出来たら、是非志を継いで欲しい。自由意思で。」
 これは先日、手に取った小衲が生まれた際に記された育児日誌にあった父の文章。命名に際しての父の思いという欄に記入されたものだが、格好良すぎる!実際のところは宗門大学入学を拒む小衲に鉄拳を振るう父であったから「自由意思」など認める気持ちは寸分も無かったようだ。
しかし、寮の塾頭老師を始め素晴らしい方々と接し、さらには京都という魅力的な場所で生活する機会を開いてくれた父には感謝の言葉すら見つからぬ。前述の通り、選択の余地無くこの道に入った小衲であるが、もたらされた様々なご縁や体験により、「自由意思」でこの道を歩んでいるのだ。

近年は自由だと言いながらその自分自身に束縛されて足を踏み出せぬ若者が多いようだ。自分探しなどしている内に人生が終わるぞ!与えられた縁を精一杯追求してみよう!


東園寺住職 千坂成也 合掌


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