平成二十七年八月発行
一見四水(いっけんすい)
テレビでは甲子園で高校球児達の奮闘を盛んに報じています。汗と砂埃にまみれて白球を追う彼らの姿は画面からも伺える関西地区の熱風と相反して清々しさを感じます。多くの人間が嫌うところの炎天下での運動。しかし、彼らは誰かに強いられてこれを行うのでは無く、むしろこの場所に来るために必死の努力を続けて来たのであります。ぎらぎら光る太陽の下、大歓声に包まれながら誇らしくも、夢心地の時間を過ごしているに違いありません。
かたや炎天下での作務(さむ)。夏の除草は禅寺の風致を整えるに不可欠ではありますが、まったく地味な仕事であります。しかし、汗にまみれて大歓声ならぬ蝉の声に励まされつつ労働し、綺麗になった庭を眺めるのは実際に汗をかいた人間のみが味わえる醍醐味です。
同じ過酷な環境でも、気持ちの置き場所でずいぶんと感じ方は異なるものですね。一水四見とは同じ水でも人間は水と見、天人は瑠璃と見、魚は住処と見、地獄の民は血の池と見るという意味の言葉です。
東園寺住職 千坂成也 合掌