平成二十九年九月発行
「九月八日は松島瑞巌寺中興開山雲居希膺禅師のご命日」
九月八日は松島瑞巌寺中興開山雲居希膺禅師のご命日です。毎歳忌には伊達藩内の関連寺院が集い、禅師の遺徳を偲びます。一般的にはそう知名度が高いとは思えぬ雲居禅師ですが、雲居禅師の教えの流れに浴す寺院は七十カ寺以上で妙心寺派寺院の中でも突出して多い末寺を有しています。日本臨済宗の歴史の中で雲居禅師は禅僧でありながら信者に念仏を勧めたことで知られます。雲居念仏禅は中国宋代に始まる禅浄兼修の影響を受けたもので、至極まっとうな教えなのですが、専修を重んじる日本の宗門、特に念仏嫌いとも言える妙心寺の家風に反するとのことで雲居禅師の著作で、念仏禅を説いた『往生要歌』は雲居禅師の弟子である南明和尚により流布本、さらには版木までも焼却され、雲居禅師はようやく本山の処罰を逃れることができました。しかし『往生要歌』の人気は高くすぐに復刻。松島ではこれを今日の御詠歌のように唱える習慣が昭和四十年代まで残っていたそうです。
「阿弥陀仏悟ればすなわち去此不遠。迷えば遥か西にこそあれ」
これは『往生要歌』の中でも最も有名な一節です。「心が調っていれば浄土は決して遠い場所にあるのではない。我々が生きるこの娑婆世界こそが浄土そのものなのだ。」とても分かりやすい教えですね。あれこれと周りの不平を言う前に、不平を感じる我が心をなんとかせねば真の幸福にはたどり着けません。