令和元年六月発行
「無礙(むげ)〜迷いがあればこそ。」
令和という新しい時代を迎えて何かしら華やいだ雰囲気を感じたのも束の間、子供の尊い命が奪われる事故や事件が相次ぎ、改めて人生無常なることを思い知らされる昨今です。命を奪われた方々の御霊に心より哀悼の意を表し、大切なご家族を喪った方々が心確かに追悼の日々を送られることをお祈り申し上げます。
さて、表題の「無礙」は執われや物事の妨げが無く自由なことを表します。また一般的な国語辞典などには「気ままで勝手なこと」という意味が掲載されますが、これは仏教用語の本分からはかなり逸脱しているように感じますね。
無礙は融通無礙という言葉がある通りブッダや修行者の如く、自我を捨て、俗事に関わらず飄々と生きることを表すのです。
しかし、お釈迦様や歴代の高僧の人生を観察すると、それぞれが非常に繊細で人が気付かぬような事に心痛め、「普通、それを悩むか!」という小事を大事と捉えて、人並外れた努力をしている方が多いようです。
大疑あれば大悟あり!クヨクヨ出来る人や人生に躓いてしまったという自覚のある人こそが実に無礙の境地に至る素養があるのです。
悟りなどという大層なことは別としても、目前の疑問をしっかりと見つめてこれに対策することこそが自身の成長に繋がります。与えられた時間を大切にし、自分を活かす工夫をしてみましょう!
東園寺住持成也合掌