令和二年十月発行
「無功徳」
10月5日はインドから中国へと禅を伝えた僧侶である達磨大師のご命日とされています。伝統的な説によれば達磨大師がインドから海路中国に上陸したのは普通元(520)年。当時の中国は南北朝時代であり南方は梁武帝、北方は北魏が治めていました。
梁の武帝は仏心天子と称される程、仏教に篤く帰依し、自ら仏典を解説するような方でした。ですからインドからやって来た達磨大師を歓迎し、宮殿に招いていろいろと質問をしたそうです。
(武帝)「私は今までたくさんの寺を建立し、僧侶を得度させて世話をして来た。この功徳は如何なものだろう?
(達磨)「無功徳(功徳など微塵も無い。)」
(武帝)「それでは仏法の究極の真理は何であるか?」
(達磨)「廓然無聖(かくねんむしょう=カラッとして何も無い。)」
(武帝)「真理も何も無いというなら私の前にいるお前は誰だ?」
(達磨)「不識(ふしき=知らん!)」
碧巌録1則に記される有名な達磨大師と武帝の問答です。武帝にとってはまさに取りつく島のない達磨大師の対応!負け役を演じさせられている武帝が少々気の毒な気がしますが…。
功徳を求める布施は本来の布施には成らず、仏法究極の真理は言葉で説くことは出来ません。第一義と口に出した途端に仏教では二義に落ちてしまうのです。まさにカラッとして何も無い、一も二も無いのです。こんな事は武帝もよくご存知だったとは思いますが、理解と行動が相反するのは世の常ですね。こればかりは他人事ではありません。
今回は小難しいお話でしたが、最後まで読んで頂き有難うございます。かなり功徳がありますよ!