令和二年十一月発行
「良いとか悪いとか」
唐代の禅僧、盤山宝積さんという方が修行僧であった頃の話です。真摯に修行に取り組んでいた宝積さんが街を歩いて、偶然に肉屋の前に差し掛かると店主と客が会話しています。
「オヤジ!この店で一番良い肉をくれ!」
「何を言うか!ウチの店は悪い肉など置いて無いぞ!」
活気に満ちた中国の街中で行われる顔馴染みの店主と客の間で交わされたものと思えば、「然もありなん」という会話であります。今は懐かしき昭和の塩竈の仲卸市場などでは、こんな店主と客の絶妙なやりとりもあったことでしょう。
しかし、このような日常のやり取りが現在まで伝えられるのは、これを聞いていた宝積さん、忽然として悟りを開いたから!
禅僧であれば己事究明といって深く自己の存在や世の中のあり方について迷ったり、悩んだりするものです。大疑があればこその大悟ですから。大いなる疑問に包まれた宝積さんにとって店主と客の口から出た「良し悪し」という語句が大疑解決の大きな手立てになったのだと思います。
この話のポイントは「良い悪いって何だろう?」という事です。良い肉も悪い肉も、何かしらの価値観をもって人間が勝手に決めた事ですし、そもそも屠殺され店先に並ぶ動物にとっては良い肉も悪い肉もあったものではありませんね。禅には「嫌う底の法なし」という言葉があります。ここでの法とは存在という意味。この世の中の事物、自分自身も含めて先入観無しに接してみようという提案です。さあ!何でもチャレンジしてみましょう!