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法螺貝 住職の法話

令和三年五月発行

「ダルマ、達磨」

 先日、松島七社の一つである鷲尾神社にお参りして来ました。松島七社とは葉山神社、日吉山王神社、八幡神社、愛宕神社、金刀比羅神社、鷲尾神社、熊野神社の七社。鷲尾神社は『天台記』にも記述があることから十二世紀末までには建立されています。『天台記』によれば三千人の僧がこの鷲尾大明神の前で源義経調伏の呪詛を行なったのだとか。このような歴史は別として、鷲尾山はとても景色の良い場所で、松島湾から塩竈の町までを眺めることが出来ます。瑞巌寺のフェイスブックにその際の画像が記載されていますので、環境の許す方は是非ご覧ください。
 鷲尾神社の説明板に面白い伝承が記してありました。要約すると「達磨大師がこの鷲尾山で坐禅を組んで修行したという伝説がある。松島には達磨大師が来て、聖徳太子が生まれるまで、約三十年待ったと伝えられ、待つ島となりそれが松島と変じた。」とあります。「待つ島」と言えば能登稲津で西行と出会い、自ら「月まつしまの聖」と名乗り、西行の松島往きの機縁を作った見仏上人が有名ですが、本題とズレますのでここでは忘れましょう。
さて、聖徳太子と達磨大師の関わりについては、太子が救った飢人が実は達磨大師であったという片岡達磨の伝説がとても有名です。これは聖徳太子が唐の南獄慧思という僧侶の生まれ変わりで、慧思は達磨大師の勧めによって日本に転生し聖徳太子となったという説と、聖徳太子が片岡山で飢人を助けたが、後日その施しも虚しく飢人が亡くなってしまったので、太子は墓を作りこの人を弔い、「あの飢人、本当は真人であった」とおっしゃったという片岡山伝説が相俟って、飢人=真人=達磨大師という片岡達磨伝説が生まれたのだとか。
達磨伝説は片岡山や松島に限らず、各地域に伝承されています。さすがインドから中国へ実践的な禅の教えを伝えたという禅宗初祖と称えられる達磨大師!と言いたいところですが、ここまで来ると禅宗という枠を超えた別次元ですね。
 ところでダルマという語句は達磨大師の個人名というよりは「教え」「真理」「存在」という意味の仏教用語です。達磨という名前を用いて伝承される様々な逸話や教訓はまさに「教え」「真理」そのもの!仏道の大切な教えである「真理はどこにでもある。」という事を示しているかのようですね!
例えば、我々が朝日に接して気力を頂いたり、道端で咲くタンポポに励まされたりするのも実に真理という意味のダルマのハタラキです。このような立場から理解すれば松島湾を見下ろす山頂で達磨さんが坐禅していても全然不思議では無いのです。

 
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