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法螺貝 住職の法話

令和三年十月発行

「活きた言葉」

五祖法演禅師の弟子に佛鑑、佛眼、佛果がおりました。ある夜のこと法演禅師と三人の弟子は夜更けまで法談をなし、方丈へと帰りました。既に灯火が尽きた方丈は、扉が閉められると、全くの暗黒でありました。ここで法演禅師は弟子達に問答を仕掛けました。「さあ各自この暗中にそれぞれの境涯で一句をつけてみなさい。」
すると佛鑑は「彩鳳(さいほう)丹霄(たんしょう)に舞う」(五色たなびく雲に色とりどりの鳳が舞っている。)、佛眼は「鉄蛇(てつだ)古路(ころ)に横たう」(鉄のおもちゃのヘビを誰も通らなくなった道に置いたようなものだ。)佛果は「看脚下」(足元を看よ。)とそれぞれ答えました。
佛鑑は、美しいものに美しいものを重ねて、暗黒の無差別平等の世界を表現し、佛眼は役に立たぬものに役に立たぬものを重ねたことでこれを表現しました。
これに対し佛果は暗いから足元にご用心!と。暗闇で足元に注意しろとは、まったくもって当たり前の言葉ですが、実に佛果の言葉こそが活きた言葉ですね。師匠の法演禅師はもちろん佛果の境涯を認めたと言います。
師匠に一句述べよと請われ美しい表現や含蓄の深い言葉を答えることが出来た佛鑑、佛眼は非常に優秀な僧侶だったと思います。しかし当意即妙(とういそくみょう=即座に、場に適った機転を利かせること。何事もありのままの状態が真理の現れであること。)という立場で見ると、やはり言葉は活きた表現でなくてはいけません。

 「活きた言葉」と言えば、やたらマニュアル化された言葉に触れる機会が多い現代です。チェーン展開するお店の店員さんはAIにように型通りの言葉を用い、政治家の言葉も原稿通り、もちろん言葉尻ばかり捕らえて批判するマスメディアの劣化もありますが、枝葉ばかりに目を奪われ、大樹を見失う傾向が日本全体にあるように感じます。気を付けたいものです。
 
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