平成十八年七月八日発行
『 先住十三回忌を迎えて 』
時の過ぎ行くのは早いもので、来る七月十五日をもって、先住職精道和尚の十三回忌を迎えることとなりました。精道和尚は三十九歳で東園寺住職となり、六十六歳で遷化するまで二十七年間住職を勤めました。その間、二つの幼稚園の設立、三重塔、鐘楼、大庫裏の建立のほか、妙心寺派花園会本部長、宗会議員、聖和学園高等学校学校長を歴任するなど、佛祖のご加護と、檀信徒の皆さんの協力を頂きながら、文字通り席の暖まる暇も無い活躍を致しました。在任期間が二十七年であったことを思うと人並みはずれた実行力を備えた人であったと思います。
人間とは様々な面をもっています。先住の評価というものも人様々であり、「やり手」というイメージを持たれる方も居られれば、「怖かった」という人も、聖和学園の生徒などには「優しい、面白い」という評価を頂いているようです。さて、息子であり弟子である小衲の意見を申せば、「宗教的情熱に長けていた人」或いは単に「優しい親父」というところでしょうか。晩年骨髄癌の激痛に耐えながら本堂でお参りする痛々しい姿は、全盛期を知る人にとっては、寂しさを越えて衝撃的なものでありました。しかし体調の落ち込んだとき程、新たな布教活動を計画するという積極思考と情熱には、吾が父ながら驚くことが度々でありました。一昨年まで当山を中心に開催しておりました、ハワイ高校生の日本文化研修の為のホームステイも先住さんが始めたこと受け継いだだけであります。
思えばこの十二年間、先住は泉下で小衲を操るように仕事をさせてくれました。先住時代からの懸案事項であった本堂の修繕、隣地の買収などは次々に解決しており、十三回忌では真前に良い報告が出来たと自負しております。
馬祖禅師は臨終にいたって弟子に心境を聞かれた際に、日面佛月面佛と答えました。日面佛は九十九年長寿もって衆生を救う佛様。月面佛は一日しか寿命の無い佛様。馬祖禅師は短命長命両極の佛の名をもって、佛とは寿夭を超えたところにあることを示したのであります。人間の命というものはいつ尽きるとも限りません。それぞれが限りある命を自覚し、それぞれ今為すべきことを全力で行うことこそが禅の活き方であります。先住の晩年の姿はまさにこれを教えてくれたのだと思います。
成也 和南