令和四年十月発行
「右も左もわかりませんが…」
少し昔の話です。私の参禅の師、瑞巌寺先住職平野宗浄老師はとても墨蹟や骨董がお好きでした。私も老師の影響でしょう!墨蹟蒐集に関しては、もはや悪癖というレベルです。老師が遷化されてもう20年になりますが、当時は禅僧の書を扱う骨董屋が多く、墨蹟カタログなども方々の店から送られて来る時代でした。そのようなカタログが送られて来た直後に老師にお会いした時などはお互いにカタログの写真を思い浮かべながら、「あれは良かった!」「あれは欲しくて電話したがもう売れていた。」と、師弟というよりはコレクター仲間のようによく墨蹟談義をしたものです。
余談が長くなりましたが、昭和3年生まれで父と同級生であった老師は、この年代には少なくない左傾の思想を有したお方でした。老師が瑞巌寺住職だった頃の瑞巌寺は天皇陛下のご健康と国家の安寧を祈る法要である祝聖(しゅくしん)を行わず、世界平和の祈祷を行っていましたので、この辺りはまさに徹底していたと言えます。
しかし老師の部屋には何故かあの頭山満の書が飾られていました。ご存知の方もあろうかと思いますが、頭山満は日本における国家主義運動の草分けで、後の右翼運動の先駆者です。
私の友人は老師の部屋に思想的には正反対の頭山満の書を見つけて大いに矛盾を感じ、恐る恐る頭山の書があることについて質問してみたそうです。すると老師の答えは単純明快!「私はこの書風が好きなんですよ!」との事。
なんとも老師らしい!思想云々は別として書風が好きという姿勢、私は本当に素晴らしいと思いますし、近頃の日本人にまったく足りていないものだと感じるのです。もちろん頭山満という人のようなパイオニアは、右派左派という単純な線引きが出来ないという理由も大きいのでしょうが、考え方の違う政敵、目の上のたんこぶの如き天敵とも言える人物でも、やはり認めるべきところは認め、称えるべきところは称えるというのが、本来人として最も大切にすべきことかと存じます。
最近の政治家や政治評論家、あるは報道関係者の言動に接していると、あまりにも粗野で日本の行末が案じられます。先ずは言葉だけでも丁寧に使いたいものですね。