令和四年十一月発行
「報恩謝徳」
11月は東園寺の本山である京都妙心寺を開基された花園法皇の恩徳を偲ぶ法皇忌という行事が11日の御命日に妙心寺で厳修されます。
花園法皇は延慶元年(1308)、大覚寺統の後二条天皇が崩御された為に12歳で天皇に即位され、文保2年(1318年)に後醍醐天皇に譲位するまでの10年間その位にありました。花園法皇は歴代天皇の中でも特に学問に優れ、深く仏教を理解された方としても知られます。若くして即位し、22歳には退位された法皇様ですが、その学識と真摯なお人柄を信頼され、兄である後伏見天皇の皇太子である量仁親王、後の光厳天皇の教育係を任されます。この時、量仁親王に向けて記された訓戒が『誡太子書』と呼ばれるものです。
この中で、花園法皇は親王に向けて皇位を継ぐ重さや、自ら田を耕すことも労力も為さずご馳走を食べ、自ら布を紡いだりする苦労も知らず綺麗な衣服を身に着けることを自省し、学問をしたら学んだ事により自分自身の在り方を反省し、徳を身につけなさいと教えています。
『誡太子書』の中には今日の価値観と異なる表現もありますが、一貫して天皇として生きる上での責任と、うわべの学問だけでは無く、徳を積む為の学びについて訓戒されています。
私は天皇という特別な立場の方だけでなく、万物に感謝し学びにより心が豊かになる事こそが人間としての最高の幸福であると思っています。