令和五年五月発行
「何が大切か見極めよう!」
世に多事の人あり
広く諸(もろもろ)の知見を学ぶ
本真は性を識らず
道と転(うたた)た懸遠す
若し実相を明らかにすれば
豈に虚願を陳(の)ぶるを用いん
一念して自心を了せば
仏の知見を開かん
『寒山詩』132 『禅の語録 寒山詩』入谷仙介 松村昻
世の中には色々な事に手を出す人がいて、たくさんの情報や知識を得ている。しかし本当の真実を知らないのであるべき道から遠くなるばかり…。
もし真実の姿を心にとらえることが出来れば、空虚な願など述べることはないだろうに。
一瞬でも自分の心を掴み取ることが出来たならば、概念の積み重ねとは次元の違う仏の眼を開くことが出来るのだ。
こちらの詩は水墨画の画題ともなる寒山拾得の2人のうちの寒山の作。寒山は9世紀から10世紀頃の中国の隠者で300余りの詩を遺しています。寒山詩と呼ばれる寒山の詩集は日本でも好まれ、前述のように禅画の画題として人気があります。「重巌に我卜居す 鳥道、人跡を絶つ 庭際に何の有る所ぞ 白雲 幽石を抱く云々」「吾が心、秋月に似たり 碧潭清うして皎潔たり云々」など、掛け軸で書かれる禅語は寒山詩に取材したものが少なくありません。
冒頭の詩は日本人が好む自然と共に暮らす自由な境涯を詠った作品とは異なり、社会風刺的な内容になっています。意味をご覧頂ければ唐の時代から現代まで、人間の有り様があまり変わらぬことがお分かり頂けるかと思います。
人は情報に過敏になり過ぎると自分自身の大切なものを見失ってしまいます。今は寒山が生きた唐代とは比べものにならぬ情報過多の世の中。時には外界の刺激から逃げることも大切です。