令和六年九月発行
「華は無心〜こだわりを捨てよう!」
維摩(ゆいま)経という経典があります。聖徳太子も大切にしていたお経で、その影響からか日本では古くからその主人公である維摩居士が絵画やお像の題材として制作、信仰されています。
維摩経はあまり長い経典ではなく、内容もすこぶる面白いものです。病気の維摩居士のもとにお釈迦様がお見舞いを派遣しようとしますが、弟子達の多くが以前、問答などで維摩居士にやり込められており、誰も見舞いに行こうとしません。しかし、文殊菩薩がお釈迦様の依頼を受け入れ維摩居士の居室「方丈」(一丈四方の部屋で維摩経由来の語句です。)を訪ねるというと、多くの仏弟子達が文殊さんに随行します。維摩居士の居室である方丈に着くと居士と文殊菩薩を中心に法談が始まり、「不二の法門」「維摩の一黙」という有名な教説が展開されます。そして、このときに気の毒なイジられ役をするのが舎利弗(しゃりほつ)尊者です。
維摩居士と文殊菩薩の会話を聴いて方丈にいた天女が感動してその身を現し、天から華を散じます。すると諸々の菩薩の身体や衣服に降り注いだ華は床に落ちますが、仏の直弟子の身体に降り注いだ華は仏弟子の法衣にくっついて離れません。仏弟子たちは焦ります。仏弟子は華のような装飾物を身体に付けることが禁じられていたからです。華を法衣から剥がそうと必死な舎利弗尊者に天女は言いました。「何故そんなにこの華を嫌うのですか?」すると舎利弗「このような華で身を飾ることは戒律に背くからです。」天女は言います。「この華には分別(この場合は自分の価値観で善悪を固定的に判断すること)がありません。あなたの心に分別があるからこの華を嫌悪するのであり、分別することこそがお釈迦様の教えに背くことではないですか?」
維摩経は大乗仏教の代表的な経典。仏弟子や舎利弗はお釈迦様以来の保守的な仏教者ですので、前述の通り負け役を演じさせられていますが、固定的な価値観を取り払って物事を見つめ直すということは我々が充実した人生を送るうえでとても大切なことです。天女が舎利弗尊者に進言したようにこだわりの原因を見据え、これを解決出来たならば、新しい道が拓けて来るかも知れません。