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法螺貝 住職の法話

令和七年二月発行

「涅槃」

 涅槃はニルバーナというサンスクリット語(インドの古い言葉。経典などで用いられます。)の訳語で「煩悩の炎が吹き消された」という意味です。特にお釈迦様の死を涅槃というのは悟りを開いてブッダとなられたお釈迦様でも人間であるが故の身体の苦痛は感じるのですが、死を迎えたことにより、病苦からも解放され、完全なる悟りを得たという意味があります。
 晩年のお釈迦様の様子は『大般涅槃経』という経典に詳しく記されています。余談ではありますがこの経典の翻訳本である中村元先生の『ブッダ最後の旅』(岩波文庫)は私の学生時代からの愛読書!人間としてのお釈迦様のひととなりが伝わる稀有な経典ですからご興味のある方は是非読んでみてください。
 この経典によると八十才になられたお釈迦様はラージギールという国の霊鷲山(りょうじゅせん)から北へ向かって旅を始めます。お釈迦様は修行者となられてから輿(こし)などの乗り物には乗らず、常に徒歩、しかも裸足で旅をされていました。このときも常と変わらず自らの足で歩を進めましたが、老齢のことですので腰痛なので弟子の肩を借りながら、やっとの思いで旅をしたようです。お釈迦様の旅の目的地は故郷のカピラ城ともコーサラという国の祇園精舎ともいわれますが、お釈迦様は体調が優れない中、時間を惜しむようにして多くの信者に教えを説き、供養の食事を受けています。このように求める人々に教えを説き安心を与えるという姿勢は死の床に就くまで続き、無理矢理面会を求めて来たスバッタという人を最後の直弟子とし、さらには教団運営に関する遺言を為して、死に立ち会った弟子達を迷い無い境地に導き、お釈迦様は涅槃に入ります。最期のお言葉は「もろもろのものごとや現象は過ぎ去るものである。怠らずに目標に向かって努力し、それを成就しなさい。」でした。
 お釈迦様は老病死の恐怖から逃れる為、修行者となられます。お釈迦様も人間ですから老病死も人並みに経験しましたし、その苦しみからは逃れることが出来なかったのですが、目的や目標に向かって一所懸命に邁進することで実に老病死から自由になったのだと思います。
 未来を担う子供達はもちろんですが、大人の我々も一所懸命になれる何かに出逢うことがあれば、幸福な人生の一歩に繋がるのでは無いでしょうか?

 
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