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法螺貝 住職の法話

平成十九年一月八日発行

『 臨済禅師の時代 』

一月十日は臨済忌―臨済宗の宗祖(しゅうそ)臨済義玄禅師(りんざいぎげんぜんじ)のご命日であります。「臨済の喝、徳山(とくざん)の棒(ぼう)」(臨済禅師は凄まじい一喝で修行僧を鍛え、徳山禅師は痛棒をもって修行僧を薫育した。)という言葉通り、大変厳しい家風をもった禅僧であったそうです。臨済禅師が活躍した唐代には会昌の廃佛という佛教弾圧がありました。
  会昌の廃佛は会昌二~五年(八四二~五年)の出来事で臨済禅師は咸通八年(八六七)に遷化していますので、まさにその教化活動の真っ直中にこの法難にめぐり合っているのであります。もっとも臨済禅師が活躍した河北は佛法に対する信仰が篤く、他の地域に比して廃佛がさほど実行されなかったようではありますが、四千六百もの大寺院が破却され、(小さな佛堂は四万箇所が破却された。)二十六万人の僧侶が還俗させられ、中には略奪行為をはたらく僧侶も出るなどという中国の歴史の中でも最も大規模な廃仏毀釈でしたので、臨済禅師の教化活動に全く影響がなかったとは思えません。
 臨済録の中には伝統的な布施、持戒などの修行や、佛や法を求めることも地獄を造る行為であるという記載があります。また臨済禅師は、静かな場所を求め坐禅に取り組むことにも歯に衣を着せぬ舌鋒で非難します。さて何故でしょうか?臨済禅師は行住坐臥を外界に何ものを求めず「ただ無事であれ」と説きます。坐禅は心を一切の束縛から自由にする行為であるのに静かな場所などというものに囚われたのでは、坐禅が坐禅でなくなるというのであります。これは伝統的な修行方法や静かな禅堂などの環境に乏しい廃佛の時代に生まれた思想なのかもしれません。日本での臨済宗も元寇や応仁の乱、さらには関が原の戦い等の中から新たな発展を見ています。そういう意味では乱世に強い臨済宗と言えそうですが…現今は如何?

 
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