平成十九年六月発行
『報恩の日』
六月二十日は塩釜港開港恩人伊達綱村公のご命日です。四代藩主伊達綱村公は崇佛敬神の念が篤い方で、たくさんの寺や神社の建物を復興しています。現在の塩釜神社の社殿もそのひとつです。またお茶人としても知られており、堤焼き、切込焼き、さらには今日も袴の最高峰として知られる仙台平等の産業を定着させた功績も著しいものがあります。
大崎平野から産出する米を運ぶために政宗公の時代に着工された貞山運河はこの綱村公の時代に完成しますが、貞山運河の開通により塩釜港に揚がる荷が少なくなり、塩釜を取り巻く時勢は悪化の一途をたどりました。そこで、塩釜神社を崇敬する綱村公は神社の門前町たる塩釜の疲弊を食い止めるために、様々な特例を設け塩釜を救ったのです。
塩釜の港は入り江となっており、当時の小船舶の迎えるには都合が良かったようですが、入り江となっているだけに定期的な浚渫作業が必要でした。綱村公はこれに藩費をもってこれに充て、市を立てることを許可し、仙台の遊郭をすべて塩釜に移動させるなどの町おこしを行ってくださいました。また綱村公以降の藩主も代々この政策を受け継ぎ塩釜は門前町、港町として大変発展したのです。
明治になり藩の保護政策がなくなると再び塩釜の港に危機が訪れました。しかし今度は当時の塩釜の有力者達が資財をもって港を浚渫し、塩釜復興の基礎を造るのです。今日でも毎歳忌のお逮夜にあたる六月十九日には東園寺で逮夜の法要が営まれ、翌日二十日には仙台大年寺山伊達家墓地にお参りしています。