平成十九年九月発行
『雲居禅師の大悟』
本日九月八日は瑞巖寺中興開山雲居希膺(うんごきよう)禅師のご命日です。松島瑞巖寺では雲居禅師の教えの流れに連なる寺院約七十カ寺の住職副住職が会し、開山忌の法要が営まれます。さらにその後には、有志の僧侶が禅師の眠る蕃山(ばんざん)大梅寺開山堂に墓参します。雲居禅師は生涯を通じて山に縁のあった方で、墓所も蕃山の頂に位置します。この開山堂に続く山道が、運動不足のわが身には大層応えるのですが、これも報恩の行と念じて毎年参じています。
深山幽谷を愛した雲居禅師ですが、大悟された場所も越知山(おちざん)(福井県)という山でした。雲居禅師五十歳の時であります。しかし雲居禅師は既に三十三歳の時、師匠であった一(いっ)宙(ちゅう)禅師に悟りを認められており、三十九歳の時には大本山妙心寺にも出世しています。これは何としたことでしょう。私は雲居禅師という方は非常に正直な人だと思うのですが、ご本人が記した仮名法語によれば、「わたしは知命の歳となっても天命を知らなかった。身は禅僧であったが、禅道にも見(まみ)えていなかった。只世間が私を悟っていると言っていただけだ・・・。」と言い、越知山に登り独り坐禅に取り組み、遂に大悟徹底されるのです。
大本山妙心寺に出世するということは宗門での最高位についたということです。斯様な立場にあって深い自己反省により、再び自らの境涯を練り直したというところが雲居禅師の偉大なところであります。禅に限らず、どんな分野でも自分で納得するまでものごとに取り組めるというのは、最も素晴らしい才能なのだと思います。