平成二十年二月発行
『佛蹟巡拝 その二 クシナガラ』
二月十五日は涅槃会。お釈迦様は八〇歳の人生を閉じられた日であると信じられています。お釈迦様が亡くなられた場所はクシナガラ。北インドに位置し、いわゆるインドのIT特需景気とは無縁の寒村であります。お釈迦様が活躍された場所は現代インドの中では経済的に恵まれない場所が多いのですが、お釈迦様の時代には、経済的にも文化的のもインドの最先端の街であったところも少なくありません。マガタ国の首都ラージギ―ル、コーサラ国の首都サーバッティなどはまさにそうで、お釈迦様の教えは、当時の新興勢力であった武士や商人など新しい価値観を求めた人々に受け入れられたのであります。しかし、クシナガラという場所は、お釈迦様在世のころからの寒村だったようで、侍者であったアーナンダはさかんにもう少し旅を続けてサーバッティ等の大都市で最期のときをむかえるようにと、お釈迦様に懇願します。ところがお釈迦様は「大都市」「寒村」という区別などする方ではありません。
また最後の旅の道中での出来事からも、お釈迦様が旧来の伝統や慣習にとらわれぬ方であったことが伺えます。例えば、お釈迦様はヴァイシャリーという場所で、アンバパーリーという遊女の供養を受けることを約束しますが、その約束の直後、ヴァイシャリーの貴族であるリッチャビーの青年達が、お釈迦様への供養を申し出ます。お釈迦様は貴族の申し出をアンバパーリーとの先約を理由に断ります。プライドを傷付けられた貴族達は遊女の約束など断るようにお釈迦様にお願いしますが、お釈迦様は俗世の階級よりも約束を重んじ、リッチャビーの青年貴族の願いを退けるのです。また最後の供養を施したのはチュンダという若者ですが、彼の職業は飾り職人。ここでお釈迦様は食事を終えられてから体調をくずしますが、食事を出してくれたチュンダに対するお釈迦様の気遣いは感動的ですらあります。
仏教の教えは難しいということが言われますが、すべての教えの原点は、ものごとをありのままに捉えるお釈迦様の叡智と、その思いやりある心に帰するのです。
前述の如く涅槃堂や荼毘塚など、お釈迦様に関わる遺構のみが存在するクシナガラであります。近年は諸外国の寺院がいくつか見られるようになりましたが、他にさして讃えるべきなどは無い村なのですが、私達仏教徒にとっては、お釈迦様の入滅の地というだけで、充分訪れるべき価値があるところです。
写真は涅槃図などにも描かれるヒラニヤヴァッティ川。
涅槃像 ミャンマーの僧侶が管理しているようである。
(インド佛蹟巡拝 番外)
今回のインド旅行は八大聖地+タージマハールという行程であったため、十二日間という長期の旅程となりました。この時期のインドは朝の冷え込みが厳しいものですから、同行者の方々の中には、途中で体調を崩された方も少なくありません。インド渡航歴十回以上で、インドでは一度も体調を崩したことの無い私も今回に関しては、一日だけでしたが吐気にみまわれました。(実はこの吐気が一ヵ月後の長期安静の序章だったのです!)そして帰国三週間、インドの思い出も薄らいだ頃、数年ぶりの風邪かとばかり思っていた高熱が、A型肝炎によるものだと判明し、即入院。入院は誕生時以来のことで、体調もさして悪くもナシ。さらには投薬などの処置もナシ。ただ安静のみが治療という気楽な入院ライフを楽しませて頂きました。しかし、気になるのは旅に同行した方々の体調。添乗員の話によれば、K寺さんも入院、S寺さんも入院、添乗員本人も「私も眼が黄色いんです。」という具合...年配の方は大丈夫?と心配しましたが、なんとA型肝炎という病気、概ね六十歳以上の日本人は抗体をお持ちだそうで、殆ど感染することが無いとのこと。嗚呼!自分もひ弱な部類の日本人だったのか...こうしたことが言えるのも全員無事に回復したからこそでありますが、とにかく主催者として肝炎に感染した方々には心よりお詫び申し上げます。A型肝炎は主に食物や水などから感染します。また意外にも熱にも強いウイルスであるそうですので、食べ物に気を付けるといっても限界があるようです。これからインドの巡拝を計画されている五十代以下の方、予防接種をお受けになることをお奨め致します。