平成二十年五月発行
『八大佛蹟 サンカーシャ』
アショカ・ピラー 玄奘の記述によれば、獅子の像であるという。 蹲りお釈迦様が天より降りたとされる階段に向いていたとされる。
帝釈天が造った「天よりの宝の階段」に模して、諸国の王により造られた階段の跡?玄奘が訪れる100年前まではお釈迦様が天から降りた宝階が存在したという。
八大佛蹟とはお釈迦様と法縁深い八つの聖地のことで、アショカ王以来これを巡拝することは大きな功徳を巡拝者にもたらすと信じられてきました。この八大聖地の中でサンカーシャは最大の難所といえるところです。難所といっても険しい渓谷が車の行く手を阻むわけではありません。とにかく他の聖地から遠いのです。昨年十二月の巡拝ではラクナウという町から十時間のドライブ。さらにサンカーシャ参拝後、七~八時間のドライブで宿泊地アグラまで移動しました。まさに巡礼!まさに苦行!それでも、サンカーシャにはアショカ石柱がきれいに保存されており、やはり一見の価値はある場所です。
サンカーシャとはお釈迦様が実母マーヤ夫人の為に三十三天に昇り三ヶ月過した後、再び地上に下りた場所であると信じられています。三十三天に昇った理由は母の為に説法することのほかに、弟子達がお釈迦様を頼みとするあまり、自分自身を見つめ苦しみや問題を自己解決しようとしない姿に、お釈迦様が警鐘を鳴らしたものであるとされています。この出来事は多くの経典がお釈迦様の成道の七年後としていますので、お釈迦様四十二歳の頃の事件なのでしょう。事件というと大げさかもしれまんが、弟子達にとってはまさに事件でした。何しろお釈迦様は誰にも告げず天界に昇ったものですから、上記の通り、すべてお釈迦様に頼りきりの弟子達は大慌てです。神通力に長けた目連さんが霊視しても、どこの世界にもお釈迦様を見つけることが出来ません。実はお釈迦様も神通力でその身を隠していたのです。三十三天に昇り三月に渡り実母と過したお釈迦様は神通力を解き、自らが天にいることを目連さんに伝えました。そしてサンカーシャに降臨することを告げたのです。弟子達や信者は先を争ってわれ先にとサンカーシャへ急ぎます。おかげで当地は大変な混雑です。ここでお釈迦様の弟子の中で最も美しい尼僧だったと伝えられる蓮華色尼(れんげじきに)が一計をめぐらし、転輪聖王に身を変じ諸々の弟子に先んじてお釈迦様に礼拝します。これと対照的な行動をとった弟子に須菩提(しゅうぼだい)がいます。彼はお釈迦様の降臨を聞いたとき、霊鷲山(りょうじゅせん)で繕い物をしていたそうですが、お釈迦様を礼拝しに行くよりも、此処で静かに坐禅をしていた方が、お釈迦様の意にかなうだろうと洞窟中で打坐していました。お釈迦様が須菩提を称えたことはいうまでもありません。
須菩提は解空第一(空を理解したことについては弟子中第一の意味)と称され、金剛経の主役ともなっていますが、金剛経中の「若し色を以って我を見、音声を以って我を求めるならば、この人は邪道を行ず。如来を見ること能わず。」という有名な一説は、前述のサンカーシャの逸話に取材したという説もあります。