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法螺貝 住職の法話

平成二十年六月発行

『祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)』

祇園といえば「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…」という平家物語の一節が思い出されます。人によっては京都の歓楽街を思い浮かべる方も多いでしょう。八坂神社から先斗町にいたるまでの地区は、我々がイメージする最も京都らしい風景が展開されるところです。しかし祇園という言葉には、斯様な華やかな意味はありません。祇園はお釈迦様が最も長く滞在された寺院であるジェータバナ・アナータピンディカという寺を訳した言葉―祇陀林給孤独園に基づくもので、これは、祇陀(ジェータ)太子の所有した林に給孤独(スダッタ)長者が寺を建立して、お釈迦様に寄進したものであると信じられます。

お釈迦様はこの祇園精舎のあるコーサラ国舎衛城とお釈迦様最初の外護者であるビンビサーラ王が治めるマガタの都、王舎城を毎年往来しています。コーサラとマガダは当時の有力な国家であると同時に友好国であり、王族同士の婚姻もあったようで、商人の往来も盛んでした。舎衛城の富豪であるスダッタ長者は慈悲深い方で、人々は彼を「給孤独長者」と呼んでいました。これは孤独な人に施しを行うという意味です。王舎城に住む友人を縁としてお釈迦様に帰依した長者は、なんとか舎衛城にも寺を寄進したいと考えました。しかし、寺を建立するには土地が必要です。寺の建立には静かな場所が適していますが、かといって町から離れすぎていたのでは托鉢や参拝に不便です。このような条件に見合う土地が舎衛城に一箇所だけありました。それはジェータ太子が所有する林でした。ところがジェータ太子もこの場所をとても気に入っており、手放す気はまったくありません。しかし慈悲深いスバッタ長者があまり熱心に頼むものですから、たわむれに「この土地表面を満たすだけの金と引き換えに、この土地を譲ってやろう。」と言ってしまったのです。ところがスダッタ長者はこれを聞いて大喜び!早速金を運ばせ、地面に敷き詰めます。それを見ていたジェータ太子はその熱意に心を動かされ、土地と林をお釈迦様に寄進したのです。

  因みに京都の祇園八坂神社は、明治の廃仏毀釈以前までは祇園社感神院という寺で牛頭天王を祀っていました。この祇園社が祇園という地名の由来となっています。


現在の祇園精舎


 舎衛城 アングリマーラの旧跡

 
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