平成二十年七月発行
『往生要歌 瑞巌寺中興開山 雲居希膺禅師』
今年は瑞巖寺中興開山雲居希膺禅師の三百五十年遠諱(三百五十年忌)にあたります。雲居禅師の教えは伊達家の庇護に支えられ、弟子や孫弟子などにより開かれた寺も合わせると県内だけでも七十カ寺以上の法孫寺院が存在しています。これは同時代の臨済宗妙心寺派の僧侶が関係する寺院数としては突出しており、如何に影響力と徳化を有した方であったかがわかります。
このように臨済宗妙心寺派の興隆のために活躍をしている雲居禅師ですが、大本山妙心寺からお叱りを受けたことがあります。その理由はその主著である往生要歌を通じて念仏を薦めたということからでした。
往生要歌は政宗公の正室である陽徳院様と娘である天麟院様に説かれたもので、百八首の和歌より構成されます。代表的な歌を数編上げてみましょう。
・阿弥陀仏悟れば即ち此去不遠 迷えば遥かの西にこそあれ
・儒釈道(じゅしゃくどう)三つの教え別ならず 善に善報(ぜんぽう) 悪に悪報(あくほう)
・一心に誠の道に入(い)る人のその行(ゆ)くすえは子孫繁昌
・成仏は異国(いこく)本朝(ほんちょう)もろともに宗(しゅう)にはよらず心にぞよる
・松島やみなとの海も極楽の池水(ちすい)と同じ法(のり)のみちのく
「阿弥陀仏悟れば即ち此去不遠~」は雲居禅師の教えの中でもっとも有名な言葉で、「西方浄土世界は十万億土の先にあるのではない。心悟ればこの地が浄土そのものである。」という意味ですから、文意を理解すれば禅の教えそのものなのですが、往生要歌には「南無阿弥陀仏」を連呼する箇所があり、このあたりが当時の妙心寺の重役達の癇に障ったのかもしれません。
日本仏教にはたくさんの宗派があります。同じ仏教を名乗っていても法衣や教えもまちまちです。雲居禅師は「浄土というのは心である。禅というものも心である。これは一つの体に二つの名前があるようなものだ。愚かなる者はその名にとらわれて賢者はその体を得る云々」という中国の中峯和尚の言葉を引用しつつ、私は述べて作らず、古人に遵って「南無阿弥陀仏」と記し、「迷うときんば十万億土 悟るときんば此去不遠」と添え書きするのだと主張されています。つまり仏法は一如であり自らの心を悟ることが、もっとも大切なことであるというのです。また雲居禅師にとっては目前の悩める人々を如何に安楽ならしめるかということが、何よりも大事なことであり、往生要歌はその慈悲心の権化といえるものであります。雲居禅師の弟子の南明和尚は妙心寺の怒りを恐れ、また雲居禅師の身を案じて、往生要歌の初版本を集め、その版木と共に焼却します。しかしその後この往生要歌は再版が繰り返され、細々ながら昭和五十年代まで松島において唱え継がれてきたのです。
※松島瑞巌寺において雲居希膺禅師展が開催中です。当山からも八点の墨蹟を出陳しております。是非ご高覧下さい。