平成二十年八月発行
『盂蘭盆会』
お盆の正式な名称は盂蘭盆。インドのサンスクリット語ウランバナの音写で、ウランバナとは逆さに吊るされたような苦しみを意味します。日本では前述の通り「お盆」と省略される場合が多いですから、供物を供える器と誤って理解されている場合も少なくありません。もっともこれは、盂蘭盆という言葉が出来た中国でさえ生じた誤解でありますが…。元来のお盆成立は、目連尊者というお釈迦様の高弟が、家族以外の人に冷淡であったことにより、餓鬼道に落ちた母を救うために、お釈迦様の教えに従い七月十五日に雨安居を終えた修行僧達に供養を行い母が救われたということに由来します。
ところが実際のお盆に行われる法要に関しては、臨済、曹洞などの禅宗の場合には施餓鬼或いは施食会と呼ばれる法要を厳修しこれをお盆の供養としています。この施餓鬼会は、これまたお釈迦様の弟子である阿難尊者が餓鬼に死の通告を受け、これを回避するために行われた法要であり、目連尊者の母を救うための法要とは一線を画します。共通点を言えば餓鬼道に落ちたものに対する供養ということでしょう。
また、ウランバナという名称だけを捕らえると、インドの古い説話に基づくものであります。これは家業や家庭をないがしろにして修行生活をしていた若者が、あるとき洞窟で一夜を過ごしたとき、洞窟の中よりうめき声が聞こえ、灯りをもって照らしてみると、沢山の人が洞窟内で逆さ吊りにされている。尋ねると、それは皆自分の先祖であり、若者が家業に励むことなく、結婚もせずにいることにより、逆さ吊りの苦しみを受けているのだというのです。ですからウランバナという言葉自体には現世に生きる我々の不足により、先祖が苦しみを味わうという元来の意味があります。
さて、私たち日本人のお盆といえば、ご先祖様が現世に帰って来るという事でしょう。これは元来の日本人の祖霊観に基づくものであるといわれ、仏教元来の思想ではないとも言われます。またお盆中に行われる棚経と呼ばれる家々を訪ねお勤めをする行事は、キリシタンの取り締まりを目的としたものであることが知られています。お盆といえば日本仏教最大の宗教行事と言えますが、これほどまでにこの行事が本邦に定着する土台となったのは、この宗門改めという公権力に基づくものだったのかも知れません。
お盆という行事に関しては上記の通り様々な思想や事情によって今日の姿になっています。しかしどのような由来があろうとも長年に亘り日本人に親しまれたお盆の行事。先祖を敬い、普段疎遠となった親戚と交流をもつということが悪い事である筈がありません。さらには、目連尊者の母の逸話に立ち返れば、先祖崇拝のみならず、親族や家族以外に対する奉仕ということも重視すべきでしょう。