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法螺貝 住職の法話

平成二十一年七月発行

『空』

日本で最も親しまれ読まれる経典は般若心経でしょう。法華経も日本仏教の基礎ともいうべきものですが、すべてを読誦には分量が多く、現在、臨済宗では観音普門品だけが読まれます。その点、僅か二六七文字で膨大な般若経典のエッセンスを抽出した般若心経は、短くて読誦には最適な経典であると言えます。般若心経にたびたび登場する文字は「無」「不」と「空」です。無と不は下に来る文字の否定で、空を説明するために使われている文字ですので、般若心経を理解する上でのキーワードは言うまでも無く「空」ということになります。仏教辞典を引くと、空には「うつろ」「実体が無い」等の意味が出てきます。

 大智度論という般若経典の解釈本に次のような話が出てきます。ある時、ある旅人が空き家で一夜の宿を借りました。旅人が休むと鬼が死体を抱えてやって来て、その死体を空き家に放置したまま出て行ってしまいました。するとそこに別の鬼がやって来ます。その死体を見て大喜び!これらの鬼は死体を食らって生きているのです。ところが先の鬼がそこに現われた。彼らにとっては、ご馳走である死体を間に喧嘩が始まりました。鬼達は双方ともに自分の死体だと主張して譲りません。そこで鬼達は寝たふりをしている旅人に、死体はどちらのものか尋ねます。旅人はどうせ食べられるのだから嘘をついても仕方がないと、正直に最初の鬼のものであることを告げます。これで、後から来た鬼は大激怒!旅人の腕をもぎ取ってしまいます。先の鬼はこれを気の毒に思い、死体から腕をもぎ取って、旅人につけてあげます。後の鬼は負けていられるかとばかり、今度は旅人の脚をもぎ取ると、先の鬼は死体の脚を旅人につけてあげる。次は腰、次は胴体と、ついには旅人の身体はすべて見知らぬ死体と入れ替わってしまいました。ここで、なんと鬼達は電撃的な和解!元の旅人の身体を仲良く食べてしまったのだそうです。旅人は自らの身体を失い、文字通り茫然自失。しかし、これが元で後に空寂を悟ったと言います。

 気色悪い話であります。しかし、元来、仏教の考え方は自分自身に対する執着から離れることからスタートしますから、このような話も少なくありません。仏教の昔のインドの僧侶の伝を見ると、自ら身体を捨てて空を示すという話が多くて驚かされます。空とは、ものごとに実体が無く、すべて相依って成り立ってものであるから、これにこだわることなくサクサクと活きて行きましょう!というのが、ご気楽な私の解釈なのですが、身命を賭して、或いは身を砕かれる様な苦しい思いをしてこそ、真理は体得出来るものなのでしょう。もちろん身命を賭して等と言うのは概念の上でのこと。本当に死んでしまっては…。いけません

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