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法螺貝 住職の法話

平成二十一年八月発行

『縁起』

「霊柩車だ!縁起悪い!」「茶柱立った!縁起良いね!」一般に使われる縁起という言葉は、偶発的な出来事が自分の身に、時には良く、時には悪く降り懸かるという意味で用いられているようです。それでは、この縁起という言葉の使われ方、仏教用語の立場から見て正しいのでしょうか?

 縁起とは仏教の最も基本的な教え。文字通り「縁りて起こる」ということで、私達の身体の存在を始め全てのものごとには原因があり、ものごとの生じた原因をよく分析し、そのものごとに対し心を落ち着けて対処しなさいということです。経典によっては、お釈迦様は菩提樹の下で十二縁起を洞察して悟ったのだとも言われます。十二縁起(=十二因縁)とは縁起の教えの原初的なもので、私達の存在が如何に生滅するかを説いています。具体的に十二を挙げると、無明(無知)から行(過去の業)が生じる。ここまでは前世のこと。次いで行から識(識別作用―託胎のとき)、識から名色(名称と形、精神と物質、心と身体―胎児)が生じ、名色から六処(眼耳鼻舌身意の働く場所―胎児)が生じ、六処から触(感覚器官と対象が接触することー出胎)が生じ、触から受(感受作用―幼児及び少年期)が生じ、受から愛(妄執―青年期及び成人)が生じ、愛から取(執着の実行)が生じるというところまでが現世のこと。さらに未来世において取から生(生まれること)が生じ、生によって老死(無常なるすがた)生じるという考え方です。ちょっと難しい表現になっていますが、十二縁起とは私達がこの世に誕生するまでのプロセスと、生まれて老いて死んでゆくことをよく分析する事により、生老病死の苦しみをありのままに受け止め、泰然として生きることを教えたものです。

 この世を生きている以上、楽もあれば苦もあります。私達はその原因をよく見つめ、楽に奢ることなく、自ら苦界に入る事の無いよう努めたいものです
 
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