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法螺貝 住職の法話

平成二十一年九月発行

『おまじない』

我が国で最も親しまれている経典に般若心経があります。般若心経はインドの言葉であるサンスクリット語を翻訳したもので、書き下して読むことが出来ます。しかし、これに当てはまらない一節があるのです。般若心経の文末にある「掲帝掲帝般羅掲帝般羅僧掲帝菩提僧莎訶(ぎゃあていぎゃあていはらぎゃあていはらそうぎゃあていぼうじいそわか)」がそれで、元来の意味とはほぼ無関係な原語に近い発音の漢字が用いられています。何故このような形式を採用しているかというと、この「掲帝掲帝~」という言葉は神秘的な言葉で翻訳するとその効力が落ちると考えられたからです。このような一節は陀羅尼(だらに)、真言等と呼ばれ、経典から独立して読まれることも少なくありません。

臨済宗の大きな法要で頻繁に読まれる楞厳咒(りょうごんしゅう)は楞厳経に含まれる陀羅尼で、現在日本で読誦される陀羅尼の中では最も長いものです。楞厳経は摩登伽女の呪力により幻惑され、魔道に落ちた阿難尊者に対し、お釈迦様が正しい行を修める為の具体的な方法を説いた経典で、陀羅尼である楞厳咒は修行を成就させる為に、様々な障害を滅除する効能があるとされます。

しかし、臨済宗僧侶が読経をする時、前述のような経典の効能を考えながら法要に参加しているものは先ず居ません。禅門の教えからすると、「~為に」「~だから」「経典の意義は~」と理屈をこねるよりも、唯々一所懸命に経を読むことを善とするからです。次のような禅問答があります。「達磨さんがインドからやって来たのは何の為ですか?」臨済禅師の答えは「何か意図があったならば自分自身も救えないぞ!」

現代人は効能書きや理屈が好きです。そして知識欲が豊富です。そんな風潮からか、意味の解らないお経を読まれても有り難くない云々という意見も耳にします。しかし、すべて意味の通じる現代語経典のみの法要に参加したことがありますが、経典を一つの音律として聞いた場合、韻律の調っていない現代語経典には音としての美しさというものは全く感じられませんでした。この点、漢訳のお経は韻が整えられていますので、上手に読めばそれこそ意味が分からずとも気分の良いものになる筈なのです。

以上のようにもろもろ検討致しまして、東園寺の法要で採用しているお経は、前述の通り本邦では最も親しまれている漢訳の般若心経、幼稚園児でも読むことが出来る延命十句観音経、「衆生本来仏なり(生きとし生けるものは皆仏である。)」を説いた坐禅和讃とさせて頂いています。親しみやすさと聞きやすさを意識した構成なのですが如何でしょう?

 
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