平成二十一年十月発行
『達磨忌』
十月五日は達磨忌。インドから中国へと禅の教えを伝えた達磨大師の御命日と信じられる日です。最も私たちに身近な達磨さんと言えば、起き上がり小法師の縁起物の達磨さんでしょう。群馬県高崎市に達磨寺というお寺がありますが、この辺りは縁起物の達磨さんの生産が盛んで、全国の生産量の八割が高崎産だそうです。高崎の達磨の生産は心越禅師という渡来僧が画いた一筆達磨を参考に、今から二百年以上前、達磨寺九世東嶽和尚が達磨の木型を彫って紙張抜きを農家に教えたのが始まりで、最初はもっと人間が坐禅を組む姿に近かったそうですが、この周辺で盛んな養蚕の繭(まゆ)に模して、次第に現在の形に発展したと考えられているようです。また、高崎が中山道の要衝であることも達磨が全国に流通する好条件となったのでしょう。
達磨大師の正式のお名前は菩提達磨大師(ぼだいだるまだいし)。謚(おくりなー死後朝廷や皇帝から賜る名前)は円覚大師。達磨さんの逸話として有名なものは、梁の武帝との問答し、武帝は禅門に縁が無いと見ると、長江を葦の葉に乗って崇山に向かったとか…。亡くなられた後、シルクロードで片方の靴をもって裸足で歩いている達磨さんと出会ったという人がいたので、墓を開けてみるともう片方の靴だけがあったとか…。不思議な逸話の多い人です。
ところで、禅の言葉に「達磨東に来たらず、二祖西天に往かず。」があります。達磨さんは中国にいらっしゃらなかった、達磨さんの弟子の慧可さんはインドに往っていないという意味の言葉です。えっ!それじゃ、教えは伝わらないじゃないか!と思われるかも知れませんが、これは歴的な教えの伝播の有無を言う言葉では無く、真理というものはお釈迦様が考え出したものでは無いし、達磨さんが伝える前から中国はもちろん宇宙に偏在し、法の働きというのは止むことが無いということ。この辺りは全てのものに神が宿るという日本の考え方に似ているかもしれません。似ているということは違いもあるということですが、それはまた別の機会に…。