平成二十一年十一月発行
『輪廻』
「六趣輪廻の因縁は己が愚痴の闇路なり、闇路に闇路を踏みそえていつか生死を離るべき」(六道の輪廻は自分自身の愚かしさから生まれる迷いの道である。その愚かしさの闇を歩いていては輪廻から解放されることなどある筈がない。)白隠禅師坐禅和讃の一節です。六道の輪廻とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六つの世界を言います。一般的には、今生で積んだ行いにより、それぞれの世界に生まれ変わるとされます。しかし、白隠禅師坐禅和讃の一節は、どうも来世のことを言っているのでは無いようです。禅宗では六道を現世の迷いと理解し、地獄は心身の苦痛、餓鬼はむさぼり、修羅は戦いや競争社会、人界は名誉欲や物欲、天界は幸福に対する執着等と説明されることも少なくありません。来世のことよりも、自分自身の目前の問題を解決しようというのが禅宗の大目標でありますので、当然と言えば当然ですが。
それでは死後の世界について禅僧が何も言っていないかと言えばそうではありません。唐の時代に南泉禅師という方がおられます。南泉禅師は「和尚さんは百年後どこにいらっしゃいますか?」という弟子の質問に対し、「山の中の水牛にでもなっているだろう。」と答えています。これに弟子は「私は和尚に随い参りたいと思いますが如何でしょうか?」と伺います。これに対し南泉禅師は、「その時はひと茎の草をもって来るのだぞ!」と答えます。仏教誕生以来、輪廻から解脱することは修行者の第一目標である筈なのですが、南泉禅師の立場は輪廻から解脱しようとするから輪廻から逃れられないのだというところにあります。
私達の生活にも本人の努力空しく、成果が認められないということや、自分の納得出来ない仕事や立場を与えられる場合は少なくありません。転職などの方法で環境を変えるということもあるでしょうが、不況下にあって、現実は厳しく不遇な環境を変え得ないことの方が多いと言えます。「俺は今地獄の日々だ!」輪廻を現前のものと捉えれば地獄も天界もあるのが我々の人生!ピンチの時にはフゥーっと息を吐いて、呼吸を調えてみましょう!すこしは楽になれるかも・・・。