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法螺貝 住職の法話

平成二十一年十二月発行

『成道会~お釈迦様のお悟り』

十二月八日は成道会。お釈迦様のお悟りの日であると日本の仏教では信じられています。臨済宗の専門道場では、これに因み十二月一日から八日までを一日と見立てて座り通しの臘八大接心(ろうはつおおぜっしん)と呼ばれる行を修めます。臘八とは、臘月(十二月のこと)八日を縮めたもの。日本人お得意の言葉の省略です。

 お釈迦さまが菩提樹の下で何を悟られたかは経典によって異なりますが、坐禅という方法で悟ったのは共通です。苦行でも快楽の道でも無い中道=偏らない行として坐禅を行じたのです。(坐禅を体験された方の「坐禅は充分苦行だったよ!」という声が聞こえてくるようですねぇ。)

 お釈迦様は菩提樹下で坐禅を行う前に、六年にわたり苦行を行っています。苦行、殊に断食によって痩せ衰えたお釈迦様は、目が落ち込みそれは恰も古井戸の奥底に残る僅かな水に月が映る如く、眼光のみが冷たく光り、骨の皮だけになった肉体は背骨が腹部から触れられる有り様でした。しかし、これでも解脱に至らなかったお釈迦様は息を止める行を行い、瀕死の状態に陥ったのです。経典では、この時、亡くなられたお釈迦様の母マーヤさんのお釈迦さまを愛しみ悲痛なる叫び声でお釈迦様は正気を取り戻されたということになっています。この後、お釈迦様はスジャータという娘から乳粥を供養してもらい、沐浴をして身を清潔にし、坐禅を行ったのです。解脱を求めるために自らの身体を痛めつける行を行っていたお釈迦様は何時しか、身体をいじめるということ自体が手段では無く、目標になってしまっていたことに気付かれたのかも知れません。これは我々の人生でもありますね。手段と目的が混沌としてしまうこと…。お釈迦様は坐禅を少年時代にすでに体験しています。釈迦族の祭りの日、その喧騒を離れ行った坐禅で、お釈迦様はこの上無い心の安寧を得たと言われます。また、お釈迦さまが二十九歳で出家された際に学んだのも、瞑想の先生でありました。瀕死の状態から快復されたお釈迦様が坐禅を行じたのは、自らの人生を振り返り基本に立ち返ったということなのです。悟りなどはとても無理でも、困った時は基本に帰れ!これは我々でも実行出来そうです。

 
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