平成二十四年一月発行
『我々もまた松を栽えるもの』
一月十日は臨済忌、臨済宗の宗祖臨済慧照禅師のご命日です。
臨済禅師の若い頃の逸話に「臨済栽松」があります。ある日、臨済禅師の師匠である黄檗禅師が住職する山寺の一角に臨済禅師が松の苗木を植えていました。そこへ黄檗禅師がやって来ます。「こんな山奥の寺に松の苗木など植えて何になる?」すると臨済禅師「一つには境内の景観を整えたいと思います。もう一つには後の人の道しるべと致します。」と答えます。
この後、宗門の大切な問答が続きますが、ここでは導入の部分のみで話を進めたいと思います。作務と呼ばれる労働は禅宗の修行では大変重視されます。若き日の臨済禅師はせっせと汗を流し、松を植えました。その手に依る松樹の下、参拝者は夏日の緑陰に遊び、雪の日には、後の求道者がその常緑の葉に励ましを受けた事でしょう。また、この松の苗木を教えそのものと理解すれば、私達もまたその恩恵を蒙っているのであります。
一昨年現代語訳が出版された奥塩地名集という江戸期の書物によると、東園寺境内には当山開山で瑞巌寺二十六世、大林宗茂禅師お手植えのカヤ樹が有り、これが「塩釜の名木」として紹介されています。当山の墓地にはたくさんのカヤの樹がありますが、一四〇〇年以前に遷化したと思われる大林禅師が植えたと思われる老木は既にありません。しかし、子孫と思われる木々は、今も繁茂し夏は緑陰を与え、冬も緑を湛え私達を励ますかの如くです。(カヤの実が大変だぞ!という声も聞こえますが…。)
樹木だけではありません。私達は、古に誰が作ったのかは知らない有形無形のものごとの恩恵を受け、日々を過ごさせて頂いています。そして、私達自身も後人に何らかの影響を与える今を生きているという事を忘れてはいけません。多くの縁に支えられている人生、一瞬一瞬を大切に生きて行きたいものです。東日本大震災よりの復興の決意も新たに。