平成二十四年九月発行
『九年の弓』
達磨大師は面壁九年の行を為して、後継者の慧可大師を得たと言います。この面壁九年を称える言葉として「九年の弓」があります。「九年の弓」というのは、宋の景公は工人に命じて弓を作らせたところ九年も要したという故事に基づいています。景公が何故、九年も時間を要したかを尋ねると、「臣また君を見ざるなり、臣の精、弓に尽くるなり。」と答え、弓を納めて三日目に工人は死んでしまいました。景公は城内の高台に登り、東に向かって矢を射ると、その矢は遠く孟霜の山を越え、彭城の東で的を射抜き、勢い余って石梁の水に矢羽を浸したといいます。
禅の書物では九年の弓を、この故事に従い「無駄骨を折る」と解釈されますが、禅では「無駄骨を折る」という事が、実に褒め言葉であり、人を導く者の理想の姿とされるのです。何か物事を為さんとすれば、世間の合理性というものを超えたところでの精進というものが必要でありましょう。世の価値観から見れば何にもならない事を、一所懸命に行じるところ、そのものに大きな意義があるのです。
達磨さんの面壁九年のお話はさて置き、宋の景公に弓作りを依頼された工人、実に幸せな生涯だったと思うのは小衲だけでありましょうか?武運を支えるところの弓の作成を天子より依頼され、これに精魂を傾けてまる九年。何にも目をくれず最高の弓を作って天子に納め、人生の目標に達したかのように生涯を閉じる。何時、風雲急を告げるかもしれぬ戦に使用する弓を作るのに九年も要したのではどうしようもないと評価するのが世間ではありますが、小衲にとってはこの工人の生涯、なんとも魅力的なのです。一所懸命になれるものある人生!素晴らしいではありませんか!