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法螺貝 住職の法話

平成二十五年一月発行

一月十日は臨済禅師のご命日

 

「お釈迦様は長年修行し、その結果この上ない悟りの境地に達し、究極の存在になられたと眼の開けぬ坊主は言うかもしれない。それではお釈迦様は何故、クシナガラの沙羅双樹の下、たった八十歳で亡くなってしまったのだろう?本当の仏とは今どこにいるのだろう?あきらかに知るべきである、お釈迦様の生死と私達の生死に異なること等は無いのだ。」  
 これは臨済宗の宗祖である臨済慧照禅師の言行を集めた『臨済録』にある一節を現代語に訳したものです。本来称えるべきお釈迦様の存在を我々と何も異なることが無いというのですから、罰当たりな話でありますが、『臨済録』には、「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ云々」という言葉もありますので、文字だけを追えば、罰当たりどころか、まったく危険極まりなき書と言えるでしょう。
 もちろん、臨済禅師の意図は、生身の仏や祖師を抹殺しろというのではありません。お釈迦さん尊い!達磨さんは偉い!と言って、その行脚を偲ぶだけで活きた禅の教えにはなりません。聖と凡を超えて一所懸命に道を行ぜよ!という教えがこの言葉にはあるのです。
 もっとも「殺仏殺祖」なんて言葉を、「神の仏も無い」という評される今の世で用いるならば、「それは良い!なんでも自分の心の赴くまま行えば良いのか!それは自由気ままで面白い!」という声が聞こえてきそうであります。しかし、仏祖父母を超越するには、先ず自分自身のわがままやこだわりを超えなくてはなりません。それでこそ、「殺仏殺祖」が「活仏活祖」と繋がるのです。
 冒頭の言葉で臨済禅師が「本当の仏とは今どこにいるのだろう?」「お釈迦様の生死と私達の生死に異なること等は無いのだ。」と仰るのは、お釈迦様の教えを君たち自身が実践し体現せよ!と勧めておられるのです。
 近年は「個性を活かす」ということばかりが喧伝されますが、日本の伝統芸能や職人の妙技に接すると、実に『臨済録』が世の真実を言い当てているかが実感出来ます。

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