平成二十五年十一月八日発行
「報恩謝徳」
十一月十一日は東園寺の本山である妙心寺を開創された花園法皇が崩御された日です。妙心寺では法皇忌というお勤めが山内の和尚を中心に営まれ、法皇の遺徳を偲びます。 花園法皇は鎌倉時代の天皇で学識高く、大徳寺開山の大燈国師のもとで禅の究極を体得され、大燈国師の弟子である関山慧玄禅師、のちの無相大師を開山とし、妙心寺を建立されたのでした。 十二歳で即位、十年後に皇位を退かれた法皇は兄である後伏見天皇から、その皇子である量仁(かずひと)親王の教育係りを依頼されました。親王に対し、花園法皇は『誡太子書』を記され、皇位を継ぐ重さや、自ら田を耕すことも無く食を受け、自ら布を紡いだりすることもなく綺麗な衣服を身に着けることを自省せよと教えています。量仁親王は後の光厳天皇。南北朝時代の北朝初代天皇で大変苦労をなさった天皇だそうです。 妙心寺派で大切にされている花園法皇の『往年の御宸翰』は妙心寺の造営関する親書を無相大師に宛てたものです。この中で花園法皇は御自らの御心に安寧をもたらした仏法に感謝し、これに報いる為に妙心寺を建立する旨を無相大師に伝えています。この御宸翰に登場するのが「報恩謝徳」という言葉です。 私たちは先祖代々の命のバトンタッチの上にこの世に生まれ、常に自然の恵みや食物の恩恵によって生かされています。仏壇に手を合わせ、お墓参りをするのも、何かをお願いするというよりは、既に多くの恵みを頂戴し、感謝を申し上げるのが大切な事です。また自らの存在に感謝出来る人こそが、自分の願いを成就する為の懸命の努力が出来るのです。