瑠璃光平成十五年十月 発行
『 功徳天(くどくてん)と黒闇女(こくあんじょ) 』
ある家に功徳天という女性がやってきました。功徳天は見目麗しく端正で、すばらしい宝石で身を飾っています。女性は言います。「私はどんな家でも、金銀真珠サンゴ琥珀瑪瑙などの宝石で家を満たしてご覧にいれますわ。」主人は喜びます。何たる幸運!さっそく女性を家に招き入れ、お香をたき、座を設えて接待します。
ところがそこにはもう一人女性が立っているのです。主人がその女性を見ると、まったくもって先程の功徳天とは正反対。その姿は醜悪。衣裳は疲れ果て、汚れて垢がしみ、肌はシワシワであります。主人が名を尋ねると女性は答えます。「私の名は黒闇女。どこの家に行っても、その家の財産を無くしてご覧にいれますわ。」主人は慌ててその女性に罵声をあびせ、門前から追い払おうとします。しかし黒闇女は言います。「そうおっしゃいますが、ご主人様!先ほどの功徳女と私は姉妹ですの。常に一緒に行動いたしていますのよ!ですから私を追い出すのでしたら同時に姉も追い出すことになりますのよ!」
このお話は大般涅槃経聖行品というお経に見える挿話です。大般涅槃経が成立して一八〇〇年程は経過していると思われますが、「おいしい話には気をつけろ!」は古今東西を問わぬ教訓であるようです。達磨大師はこの挿話を引用して人間は縁に随い欲張ることなく生きることが必要であると説いています。
平成十五年十月 発行
初七日から四十九日、百カ日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、三十七回忌、そして五十回忌。今日行われる追善供養は概ね右記の通りです。初七日から四十九日は中陰(ちゅうん)と呼ばれ人が死してからまた次の肉体を得るまでの狭間の期間と考えられています。もっともこれはインド一般の考え方で、中国に来るとこれが儒教(じゅきょう)の影響で三回忌をもって生まれ変わると追善期間が延びてしまいます。
日本では日本元来の信仰に基づき五十回忌までの追善を大切にしますが、何故三と七という数で年忌を行うかは定説がありません。江戸中期の禅僧無着道忠(むちゃくどうちゅう)禅師は、「亡き父母を偲ぶことは本来寝ても覚めても行うべきだが、数が多くなれば煩雑になるので、自然の成数である三と七をもってこれを行う。また十三回忌は十二支の一巡を意味する。一部の地方で行われる二十五回忌は十二支の二巡を意味する。」と述べています。
ところで僧侶に関する五十回忌までの年忌供養の際には、「示寂(じじゃく)の辰(しん)」という言葉を使います。これは今まさに亡くなった日にという意味です。これは五十回忌までは、師匠を亡くしたときに立ち返って勤めさせて頂きますということでしょう。考えて見れば自分自身の肉親や師匠を喪ったときほど純粋な気持ちで死者との一体感を得られることはありません。誰しもが時の流れとともに死者の恩徳を忘却しがちなものです。「示寂の辰」に立ち返るということは、幽明境を異とした瞬間の敬虔な心境をもって死者を尊び自分自身を反省せよということなのです。