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法螺貝 住職の法話

平成十五年十二月 発行

『 成仏 』

中国が唐と呼ばれた時代の禅僧に馬祖禅師(ばそぜんじ)という方がおられます。あるとき馬祖が坐禅をしていると師匠の南嶽禅師(なんがくぜんじ)がやってきて、一生懸命坐っている馬祖にちょっかいをかけます。「おい!お前はこんなところで何をしておるのじゃ!」寺で坐禅をしているのに何をしているとはくだらないことを聞いたものですが、ここが禅問答の面白いところです。馬祖は何の臆面も無く答えます。「坐禅をして仏になろうと思います。」その答えを聞くや否や、南嶽は瓦礫(がれき)をひとかけら拾うとせっせと磨き始めました。馬祖は奇怪な師匠の行動に驚きます。「お師匠様何をなさっておられるのですか?」南嶽は答えます。「この瓦を磨いて鏡にしようと思ってのう。」

禅の教えは言葉や動作で、直接的に教示することよりも、問題とは一見本題とは無関係な言葉や動作で暗示的に真理を指し示し、弟子に自ら考えさせて、深い理解を与えんとします。「お前が仏になるなど瓦礫を磨いて鏡にするようなものだ。坐禅などやめてしまえ!」お前には素質が無いから坐禅なんて無駄ごとだとも聞こえる言葉ですが、実は「お前は仏を見誤ってないか?お前は仏になると言っているが、何か別の化け物にでもなる気か?お前はお前という仏になるのだぞ!」という教えなのです。

十二月八日は成道会おしゃかさまが悟りを開かれ仏となられた日であります。臨済宗の専門道場では十二月一日から八日までを一日と見做して坐り通しの修行をします。禅堂で真剣に坐っている修行者の姿はさながら仏の如くです。

禅は元来、経典に描写されるような、説法すると眉間から白い光線を放ち、空中に浮いて説法するような超人的仏を認めません。それよりもそれぞれ世俗的に見れば優劣のある人間が、おしゃかさまとなんら変わらない仏の心を持ち合わせていることを、個々の人間が信じることを大切にするのです。

 
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