慶応3年塩釜大火で命を落とした方々の供養塔。慶応3年2月6日に発生した大火により、男性19名女性17名の方々が犠牲となられました。藩主はこれを哀悼し、仙台大年寺二十五世真輝禅師に依頼して、同年3月16日、焼け跡となっていた東園寺で七六日忌に併せて施餓鬼会が営まれ、さらに同年5月16日に百カ日供養の為にこの碑が建立されました。
東園寺中興開山曹源祖水禅師の塔。
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塩釜港を整備し現在の塩釜神社の偉観を整えた四代仙台藩主伊達綱村公を称える石碑。曹源禅師の弟子である恵活禅師により建立された。残念ながら慶応3年の大火の際に断碑となっている。
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天文15年(1546年)に建立された逆修碑。五輪塔。「逆修 松光慈見 天文十五年二月十五日」との文字が確認出来る。高さ68センチ。 中世の御家人及び有力者の間で逆修という宗教儀礼が盛んに行われた。逆修とは自分の葬儀を自分が功徳主となって行うことである。灌頂経第十一によれば「生前あらかじめ死後の往生菩提を資せんがために法戒を解し身は幻の如しと知り、菩提の行を三七日し灯火を点し続け、諸々の福業を護持すれば、その福は限りなく心の願うところにしたがってその果報を享ける。」とある。逆に自らの死後に後継者等によって追善を行ってもらっても、死者はその功徳の7分の1を得るのみで、法要に参じた生者が7分の6を獲ると記載される。